震災から5年・・・東北被災地でがんばる整備工場オートガレージ

宮城県オートガレージ

オートガレージ

宮城県東松島市

東日本大震災の直撃を受けた東松島市

2011 年3 月11 日に発生した東日本大震災は被災地のみならず、日本国民全てを震撼させた。被災地の一つである東松島市は日本三景の一つでもある松島を擁するなど、自然情緒溢れる都市だ。そんな東松島市で地域に根ざした鈑金工場、オートガレージ(岡 壮彦代表取締役社長)もまた震災の直撃を受けた。

「あの日あの時間に、私は丁度会社におりました。地震による被害を最小限に食い止めるべく社員を帰宅させ、片付けを行っていた際に津波が押し寄せてきました。命の危険を感じて車で避難しましたが、途中で車が水没してしまい、極寒の中泳いで避難所へ向かいました。家族とも連絡が取れない中で、常務にメールでSOS を送りました。返ってきた返事は『マジですか?』と緊張感のないものでした。確かに実際に直面していない人間からすれば、にわかには信じられないものであると思います。

ともかく常務の支援もあって家族とは再会出来ました。しかしながら問題なのは預かっていたお客さまの車です。当時は電気や水道が1 ヶ月から3 ヶ月ぐらい通っておらず、またガソリンもなく、携帯電話でも連絡ができず、会社も全壊でパソコンのデータも失われ、お客さまへの連絡も不可能な状態でした。お客さまに謝る毎日が続きました。

お客さまからは『電話もよこさないでふざけるな。俺の車はどうした、震災の影響なんか関係あるか』と厳しい叱責を受けることもありました。工場まで来られたお客さまの中には現状を目の当たりにしたことで理解を示してくれる方もいらっしゃいました」と当時を語る岡社長。

地震は日本国民にとって馴染みの深い自然現象の一つである。その影響は特に沿岸部であれば津波や弊害を伴う。同社の場合、咄嗟の判断で社員を帰宅させ、岡社長自身も無事避難することが出来たものの、待っていた現実は厳しいものであった。そんな中であっても顧客や仲間からの支援を受けたこと、人との暖かさに触れたことを岡社長は涙ながらに語った。

綱渡りの毎日

「同年4 月半ばから車を津波で流されてしまった方から代替車の受注を頂くようになりましたが、銀行も機能していない、現金もない、オークションにも出かけられないという三重苦に見舞われてしまいました。そんな中でも、何とか事業再開に向けた動きをしました。しかし、不安を抱えた状態では社員を満足に働かせることは出来ません。苦渋の決断ではありましたが、一旦社員を解雇しました。自転車操業の毎日が続く中で、弊社が加盟しているDRPネットワークやロータスの仲間には本当に助けられました」と岡社長。社員に対する想いやお客さまの要望に対する責任感など、経営者の鑑ともいえる行動をみせた甲斐もあって、無事2012 年10 月に工場を再建できた。

もう一度人生を貰った

工場を再建した場所は被災した場所と全く同じ場所である。立地上は不利でありながらも幹線道路に面していることもあってか、現在では入庫が安定している。既存顧客も同じ場所で事業再開したことに安心感を覚えたという。

「震災の特需もありましたが、それに頼ることなく改めて自社の強みをお客さまに理解して頂くことに腐心しました。やはり我々は地域密着の業種ですから、地元のお客さまのために同じ場所に工場を構えました。泣く泣く解雇した社員達が戻ってきてくれたことも本当に感謝しています。回りの方々に支えられていたことを本当に実感出来ました。震災があったからこそ、新しい人生を歩むことが出来たと今では思います。これまで以上にお客さま、社員達を幸福に出来るように頑張ってまいります」と岡社長。

震災を乗り越え更なる経営手腕に磨きを掛けていく。社員満足度や顧客満足度など今まで以上に意識をするようになったのは、言うまでもなく、震災にあったからこそとまで言い切れるほど、マイナスの事象をプラスに捉えられるというのはとても素晴らしいことである。明日はわが身とまでは言わないが、お客さま、社員、取引先や仲間など自社を表や陰から支えている人々に感謝の念を込めて頂ければと思う。

津波被害の東北
津波被害の爪あとを未だに残す

株式会社 オートガレージ
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